第17話 榛名神社

 上州を代表する山は?と聞けば「上毛三山」の言葉にたとえられるように、榛名山、赤城山、妙義山と答える人が多いのではないでしょうか?  その一つ高崎市の北東に位置する榛名山ですが、現在のように人が住むようになったのは明治以降と言われています。それまで榛名山一帯は草木動物の採取が厳しく禁止され、永らく修験道(自然崇拝)の場であるとともに山…
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第16話 川中島の戦い in 長野

 ハッキリ言って高崎の歴史とは関係ありません。管理人が歴史好きのため記事にさせてもらいました。どうかご容赦くださいませ。  さて、先日、川中島の合戦イベント「再現!川中島の戦い2008(9月14日)」が開催されるという情報をキャッチして長野まで足を伸ばして来ました。高崎から長野までは上信越自動車道で下道も合わせて2時間ほどです。以下簡…
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第15話 滝の慈眼寺

 慈眼寺(じげんじ)のある場所は高崎市下滝町というところです。昔、あたり一帯は滝川村と呼ばれていました。それなので、通称「滝」の慈眼寺と呼ばれています。                慈眼寺  真言宗のお寺で、高野山を本寺としています。開基は聖武天皇の時代と古く、江戸時代には御朱印30石を抱える県内でも屈指の古刹でした。   …
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第14話 八幡八幡宮

 「やわたはちまんぐう」と読みます。高崎市八幡町に鎮座している神社です。                  拝殿  957年、京都の石清水八幡宮を勧請して創建されました。別名を上野国一社八幡宮(こうずけこくいっしゃはちまんぐう)ともいいます。上野国にはほかに玉村八幡宮や山名八幡宮(第6話)といった八幡宮がありますが、その中で第一…
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第13話 高崎城

 高崎城は徳川四天王の一人、井伊直政によって1598年に築かれた城です。  それまで高崎の地は和田と呼ばれていて、当地を支配していた豪族、和田氏によって築かれた和田城がありました。  和田氏は元々は、相模国三浦に勢力をもっていた一族で、和田合戦(1213)で敗れた和田義盛の一族が、上野国西方に落ち延びてきたものとされています。  …
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第12話 進雄神社

 「すさのお」神社と読みます。主祭神は祇園祭で有名な京都八坂神社と同じ須佐之男命(すさのおのみこと)です。  江戸時代には、三代将軍徳川家光から朱印地30石の寄進を受けています。かつては牛頭天王を祭る神社で社名も「天王社」と呼ばれていましたが、明治維新後に現在の社名になりました。  高崎五万石騒動(第10話)で農民側…
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第11話 里見氏義と宮田不動尊

 群馬県渋川市の宮田不動寺境内の洞窟に「石造不動明王立像(せきぞうふどうみょうおうりゅうぞう)」が安置されています。地元では通称「宮田不動尊」として親しまれています。普段は拝観出来ませんが、年に1度だけ、1月28日に開帳式があり一般に公開されます。  貴重な機会なので、先日カメラを片手に行って参りました。  これがその時の貴重な写真…
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第10話 高崎五万石騒動

 高崎五万石とは、幕末当時高崎藩領であった下総(銚子)、武蔵(野火止)、越後の一部を除いた領内五万石の石高のことです。  高崎藩は徳川四天王、井伊直政以来、代々、徳川幕府とは親密な関係を保ってきました。  歴代藩主の幕府への忠節心は高く、そのことはしばしば封建的な藩政となって領内の民・百姓を苦しめることにもなりました。譜代としての体…
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第9話 駿河大納言徳川忠長

 徳川忠長は3代将軍徳川家光の実弟です。一時は駿河・遠江55万石を与えられ、駿河大納言と呼ばれた人物です。  幼いころから、病弱の家光より、利発だったので、両親から兄以上に溺愛されました。母の崇源院は将来家督を忠長に継がせようとまでします。しかし、祖父家康が下した判断は長子である家光を将軍とするとのことでした。  やがて、幼いころ甘…
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第8話 国定忠治と関東取締出役

 国定忠治は江戸時代末期、上州を拠点に暴れまわった博徒である。  忠治は1810年、佐位郡国定村(伊勢崎市国定町)に生まれた。若いころから、賭場に出入りし、富農の出ではあるが武芸を身につけていた。そして天保5年、自分の子分である三ツ木の文蔵を痛めつけたというので、対立する博徒島村伊三郎を惨殺した。また信州街道の大戸の関所(吾妻郡東吾妻…
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第7話 少林山だるま市

 高崎といえば「縁起だるま」です。全国のだるまの約8割を高崎で生産しています。そんなことから、毎年1月6・7日には少林山七草星祭と称して、少林山達磨寺の境内で「だるま市」が約20万人の人出を迎えて盛大に開催されます。  祭りで最も賑わうのは、初日の夜です。たくさんの夜店が山道の両脇を埋め尽くし、参拝客は山肌をぐるっと一周して元の一番下…
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第6話 新田一族と山名八幡宮

 新田一族と聞くと、多くの人は群馬県太田市(旧新田郡新田町)を思い浮かべるかもしれない。  しかし、歴史に通じている方なら、新田氏が上州はおろか全国に華々しく展開していった一族であることをご存知だと思う。  群馬県高崎市山名町に鎮座する「山名八幡宮」は、そんな新田一族と高崎との関連を最も印象づける名勝である。  新田一族の祖である…
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第5話 心の灯台 内村鑑三

 上州人にはお馴染みの「上毛かるた」(郷土かるた)。かるたの中で「こ」の句はご存知のとおり「心の灯台 内村鑑三」である。  内村鑑三(1861~1930)は高崎藩士の子として、江戸小石川の藩邸で生まれた。高崎藩英学校で学んだあと、札幌農学校に進み、同級生の新渡戸稲造らとともにキリスト教に入信。その後、アメリカにわたり、さらに信仰を深め…
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第4話 箕輪城と長野業政

 長野氏はもともと南北朝末期、井野川流域の開発を手がけ、その後浜川(高崎市浜川町)に拠点を移し、西上州の武士団をまとめていった一族である。  一族の中で、もっとも力を振るったのが長野業政(ながのなりまさ 1491~1561)であった。当時関東管領であった上杉憲政(うえすぎのりまさ)は平井城(藤岡市)にいたが、南方から侵略してきた北条氏…
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第3話 「鉢の木」の物語

 謡曲「鉢の木」の物語を、中学の歴史の教科書などで読んだ方も多いのではないだろうか。  話のあらすじはこうである。  時は鎌倉時代。旅の僧が、川の渡しの手前で、吹雪に巻き込まれ、せめて一晩の宿を借りようとある家の門をたたいた。  やがて、帰宅した主人は旅の僧に「家はあまりに貧しいので泊めることができない、少し行った所に里がある…
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第2話 頼政神社

頼政(よりまさ)神社を御存知だろうか。  頼政神社は高崎公園の南にひっそりと建っている。  井伊直政から数えて9代目の高崎藩主となる大河内輝貞(おおこうちてるさだ)は、自身の祖先である源頼政をまつる神社を1698年鞘町に建立した。  源頼政(1104~1180)はたいへん武勇に優れた武人で、当時近衛天皇を苦しめていた鵺(ぬ…
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第1話 「高崎」という地名

 高崎という地名は果たしていつ付いたのだろうか?  それは1598年のことである。  当時箕輪城主であった徳川四天王の一人、井伊直政は交通の要衝である和田(当時)の地に箕輪から城を移すことを決意した。  当初直政はこの地を「松ヶ崎」とするはずであった。そこで以前から多大な信頼を寄せている龍広寺の白庵和尚に相談したところ、松は枯…
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