上州高崎の歴史

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help リーダーに追加 RSS 第4話 箕輪城と長野業政

<<   作成日時 : 2007/12/22 22:36   >>

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 長野氏はもともと南北朝末期、井野川流域の開発を手がけ、その後浜川(高崎市浜川町)に拠点を移し、西上州の武士団をまとめていった一族である。
 一族の中で、もっとも力を振るったのが長野業政(ながのなりまさ 1491〜1561)であった。当時関東管領であった上杉憲政(うえすぎのりまさ)は平井城(藤岡市)にいたが、南方から侵略してきた北条氏康に追われ、いったん越後へと退いた。長野業政は上杉憲政の関東侵略拠点の役割を任されるいっぽう、上杉氏の後ろ盾を受けることとなった。
 業政は12人の娘を近隣の武将である小幡(甘楽町)、武州忍、和田(高崎市高松町)、倉賀野、厩橋(前橋市)などに嫁がせるなどして、西上州武士団の団結をはかっていった。
 業政の機動力は「箕輪衆(みのわしゅう)」といわれる在郷武士団であった。上杉謙信の関東出兵に際しては、19人の箕輪衆が参陣したという。(関東幕注文)
 業政の居城は、榛名山麓から連なる尾根の末端に、祖先によって築かれた箕輪城であった。
 箕輪城はいくつもの巨大な空堀をもつ堅固な山城であるが、それにも加えて業政の采配は賢明であった。隣国の武田信玄は6回にわたって城を攻めたが、業政はわずかな兵でいずれも撃退している。
 業政は死ぬ直前、子の業盛(なりもり)を呼び寄せて言った。
「私が死んだ後、一里塚と変わらないような墓を作れ。我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ。敵に降伏してはならない。運が尽きたなら潔く討死せよ。それこそが私への孝養、これに過ぎたるものはない」
 業政の死を知るやいなや、信玄はすぐさま兵を差し向け、ついに箕輪城を陥落させてしまった。子の業盛は父の遺言を守り、最後の一兵まで抗戦したが力及ばず、これまた父の遺言に従って、敵に捕まる前に城内の持仏堂に入って自害してしまった。

 業盛の辞世の句である
「春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の里かな」

 長野父子は死んでしまったが、その後も箕輪城の地理的重要性は変わらず、秀吉から関八州を与えられた家康により井伊直政という有力大名が12万石で配置されている。

 箕輪城跡に行ったことのある方ならわかると思うが、現場は典型的な山城である。持仏堂があったところには当時からの古い井戸が残っている。ここで業盛のあとを追って何百の兵が自害したかと思うとなんともいえない気持ちになる。思わず手を合わせずにはいられなかった。
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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして♪
サークルから、やって来ました。よろしくお願いいたします。業政さんは歴史上あまり目立たない存在ですが、大人物だったようですね。紀州九度山に真田庵がありますが、真田幸村さんの祖父幸隆さんとの関係が深かったと記憶しています。
たしか、新陰流の上泉伊勢守さんとかも、配下の武将にいたのではなかったでしょうか?上州の話、楽しみにしています☆
(⌒o⌒)
mikomai
2007/12/23 13:39
どうも、コメントありがとうございます。
上州には残念ながら天下争いまでするような地元出身の武将はいなかったのです・・
だから、西上州だったら長野業政、東上州だったら新田義貞が県民のヒーロー?になっています。
しかし、、、上泉伊勢守信(秀)綱のこと良くご存知ですね。
業盛が信玄に滅ぼされたとき、信玄に家来に入るように誘われますが、秀綱は断ります。
剣の道を極め全国に普及したいからと。
そこで信玄は「信」の名前だけ与え、他の誰の武将の臣下にも入らないことを約束させて、許します。
真田幸隆との関係は、「風林火山」でも出てましたが、武田の手に負われて上州に落ち延びてきたときに、一時期臣下になります。あとで、寝返りますが。
真田ですか。上田は行ったことありますが、紀州九度山はまだ行ってません。
みこまいさんのブログに情報のってるかな?
何か情報あったらブログでも紹介してくださいm(_ _)m
まさと
2007/12/24 18:15
今晩は、まさとさん♪
上泉伊勢守のことは、奈良の柳生の関係で知りました。滝坂の道が好きで、よく歩きに行ったりします☆
(^ ^)
全国に散った新田一族にも、すごく興味があります♪いろいろ教えてくださいね。
(⌒o⌒)
mikomai
2007/12/24 21:14
滝坂の道ですか。
私も近畿方面に行ったらぜひ歩いてみたいです。
まさと
2007/12/25 19:28
勉強になりますね〜 いつも通過ばかりしてたから・・・少し意識して勉強しないと、新田義貞の響きがなんか懐かしい・・教科書に出ていたかな?
なんか知りたいことだらけで、どれから先に本を読んだらいいか、悩みます。
フラット
2007/12/25 22:56
コメどうもです。
サークルの方でおう伺いしたいことがあり、記事書いてますので宜しくです。
フラット
2007/12/27 21:14
いつぞやは私のブログを訪問してくださってありがとうございました。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
長野氏といえば、10年以上も前になりますが末裔の方の披露宴の司会をしたことがあります。箕輪城の話もその時に初めて知りました。
県外出身者なので、大変勉強になります。
また、折を見てお邪魔しますね。
赤城の山姥
2008/09/26 14:23
コメントありがとうございます。長野氏の末裔の方ですか?それは貴重なご経験をされましたね。こちらこそ色々と教えてください。よろしくお願いします。
まさと
2008/09/27 01:11

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